「言い返したい」「やり返したい」時に踏みとどまるアドラー心理学の実践。自他ともに勇気づけを

2025年06月15日

こんにちは、ダンシングポノ制作のニーダです。

💬言い返したくなる相手に、どう向き合うか?
〜アドラー心理学と全体論の視点から〜

今日は「つい言い返したくなる人」との関係で感じたことを、アドラー心理学と照らし合わせて整理してみたいと思います。

個人的体感です。
こんなことがあったらみなさんどうですか?

かなりの頻度でこんなことをネチネチ言われ続けることがあると仮定します:

  • 「過去ずっとできていなかった」ことを長時間言われ続ける
  • 目的に向かって取り組んでいる作業に対して「今やっていることは意味がない」
  • 「優先順位が違う」そんなこともわからないなんてありえない

しかも発言者本人は「言いたくないことを相手のために頑張って言っている」と思い込んでいて、決して悪気はない。

そして言いたいことはたくさんあるから、長い時間をかけて順をもって説明してくれるけれど、9割は不要な話で、「どないせいっちゅうねん」と返答に困る答えようのないことばかり。結論も明確にできないから全く伝わってこない。

観察を続けているとそういう人に限って決して悪気はないのです。むしろ自分は人格者でお人好しで困っているとか考える人も多いかもしれません(笑)

これは私の受け取り方に問題があるのかもしれませんが、そういうのはモラハラ、パワハラだと感じてしまいます。

受け取り方、知識としてはわかるんです。しかし、人間として気持ちがなかなかついてこないものでもあります。

例えば、

アドラーは「解釈(interpretation)」として、出来事そのものではなく、それに対して自分がどのような意味づけをしているか

仏教では「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉がありますが、これも“この世の現象は固定された実体ではなく、私たちが意味を与えているにすぎない”という解釈につながります。

課以前の僕ですと、しばらく落ち込み、相手が傷つけるつもりが一切ないであろう言葉を頭の中でなんども繰り返して嫌な気持ちになり、エネルギーを取り戻すのに時間がかかっていました。

そんなときAudibleで聴いていたアドラー心理学が役に立ちました。

🧠 アドラー心理学との出会い:「課題の分離」で心が軽くなった

アドラーの教えには、こんな考えがあります。

「相手がどう言うか」はその人の課題
「それをどう受け取るか」は自分の課題

自分でコントロールできないこと、つまり相手を変えることは無理なので、自分でコントロールできる範囲に集中するということ。

あくまでも相手の課題、こちらでコントロールはできないことと割り切るしかありません。

以前似たような話で「不思議」という語源は「思っても議論してもどうしようもない事に考える時間があれば今に集中するほうがいい」というお話を聞いた事があります。

通じるものがあるかもしれません。

こういう考え方について、知識として多く学び、知っていたつもりですが、あらためて「課題の分離」として言語化されたものを実体験に置き換えると体感としてよくわかりました。

😳 でも、感情ある人間、「言い返したり」「やり返したく」なったときの思考実験

自分も感情の人間「課題の分離」を実践していても失礼なことをいわれたら「相手に言い返したい」「やり返したい」という欲望がむくむく立ち上がります。

僕の中の悪魔の心がささやきます。「ちゃんとおかしい事にはおかしいといわないとわからないし、それが世の中のためだと」

そこで考えました。

極端な例ですが以下の命題について

🔸思考実験:命題と仮定

🧪 命題

「バカにバカということは、本当に正しくて、それが世の中の役に立つのか?」

🧩 仮定

あきらかに自分に対して「間違ったこと」や「理不尽なこと(という解釈)」を言ってくる人がいる。
自分は感情的に「言い返したい」と強く感じている。


🔸考察

たしかに、相手に言い返したり、論破したりすることで、一時的に自分の気持ちはスカッとするかもしれない。

でも、それは“麻薬”のようなもの。
繰り返すうちに、人格そのものが歪んでいく可能性があります。

脳科学の視点でも、脳は「主語を認識しない」と言われています。
つまり、誰かに放った攻撃的な言葉も、自分自身にダメージを与えてしまうかもしれない。

さらに、アドラー心理学の「課題の分離」に照らすと、
相手を変えようとすること自体が、自分の課題の範囲外であり、無意味な行為とも言えます。

アドラーはこうも言っています。

「人は“勇気づけ”によってしか行動できない」
→ だから、「バカ」と言うことは「勇気づけ」からかけ離れている行為

アドラーによると:

  • 人は変わる力を持っている。
  • でもその力は、“批判”や“攻撃”ではなく、「信頼」と「勇気づけ」から引き出される。

💢「バカ」に「バカ」と言うことは正しいのか(アドラー視点)

結果説明
相手が防衛的になる恥をかかされたと感じ、心を閉ざす
反発や攻撃で返される対話ではなく、戦いになる
変わらないどころか、余計に拗れる劣等感が刺激され、逆に固執する

アドラーは「人を変えることはできない」とした上で、
変わるのは、自分が“変わりたい”と思ったときだけ」と述べています。

✨ 結論:

「バカ」と言えば変わるどころか、心のシャッターが下りるだけ。
「伝える」より先に「尊重する」「勇気づけ」ことが必要。

🌱 自分が目指したい姿

これらを経て、明確に自分の人生の目標としたのは、僕は「人のやる気奪う」ではなく、
「勇気づけ」と「信頼」を与えられる人でいたい。

人の小さな努力や挑戦を肯定するような声かけをしていきたいです。

それは他人に対してもそうですが、自分に対しても同様かと考えます。

「言い返したい」「やり返したい」感情が湧いてきたら、自分への「勇気づけ」で、その気持ちを抑えるのも勇気。

🎁 最後に、自分を守る言葉3つ

  • 「これは私の課題ではない」
  • 「この人の言葉で、私の価値は変わらない」
  • 「勇気ある距離感を、私は選んでいい」

もし同じような経験をしている人がいたら、
この記事が少しでも心の余白をつくる助けになればうれしいです。


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この記事を書いた人|ニーダ

Dancing Pono(ダンシングポノ)の運営者。1998年にサルサに出会うのをきっかけにラテンのペアダンスを日本に拡めるよう活動中。ダンススタジオ運営やイベント企画・運用のかたわら、AIやweb・アプリ開発、動画編集、ラテンDJ、バーテンダーと多岐に渡る活動中。

2021年1月末にくも膜下出血で倒れるも奇跡的に後遺症もなく復帰。現在は人生のボーナスステージとして過ごしています。リハビリとしてはじめた太極拳、ロードバイクを趣味としています。太極拳では近所のおじいちゃん、おばあちゃんと健康のための太極拳、ロードバイクでは「極力体力を使わないでどこまで行けるか」の実験で、東京(荒川河口)-新潟(柏崎)を22時間などやったりしてます。

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